古雜メモ

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檜六郎って誰なのさ

これは2017年のことなのでちょっと古い話である。

昭和初期の『改造』や『文戰』に檜六郎って人が社会時評的な記事を書いているのに遭遇した。ネットで検索をかけてみても、この檜六郎さん、どいう人なのかさっぱりわからなかった。そのとき、ふっと思いついて市立図書館のレファレンス・サービスというものを利用してみることにした。すると答が返ってきた。それによると、檜六郎は小牧近江(本名:近江谷駉)の実弟の島田晋作(旧名:近江谷晋作)の筆名だということで、1901年生まれで1950年死没、戦後には日本社会党公認の衆議院議員を務めたとのこと。

レファレンス・サービスの有難味がよくわかった。一番知りたかったのは没年なんだけどね。これで檜六郎は古雜文庫で取り上げることができた。

内田巌「秋刀魚の話」の中の檜六郎=島田晋作

その後、内田魯庵の長男の画家、内田巌の「秋刀魚の話」という随筆を古雜文庫に登録したが、その中に

……後に文士になつて一時文名を謳はれ天折した池谷信三郞、社會黨の代議士になつた檜木六郞こと島田晋作、フアーブル詩人の平野威馬雄、藝妓と心中した天才ピアニスト近藤柏次郞、言語學者の時枝、アラヽギの澁谷嘉次、フランス哲學の高山峻、農民經濟の鈴木小兵衞達は皆同級だつたし、上級には小牧近江、アルピニストの船田三郞、故東屋三郞、土方與志、長谷川路可、下級には渡邊一夫、山川幸世、佐野磧、風間道太郞等がゐた。よく考へると一癖も二癖もある恐るべき子供達だつたわけである。

……肉筆雜誌が發行された。私の最後迄の親友として先日死んだ後藤眞二、島田晋作、池谷信三郞、高山峻で島田の番町の家に編輯部を作つた。その頃島田は近江谷晋作で民政黨の代議士近江谷榮次の息子だつた。島田と池谷はその頃の私の相棒だつた。後藤と池谷が文章が圖拔けて上手で、繪は永井が巧く表紙は永井が描いた。

……後藤と鈴木は志賀是枝伊藤好道なぞのゐた當時の新人會に行き私は島田に誘はれて種蒔く人のプロレタリア文藝運動の靑年部に參加した。

 という記述があり、内田巌と島田晋作は暁星小学校・中学校の友人で、内田巌は島田の誘いで「種蒔く人」に参加していたことがわかる。

この「秋刀魚の話」という隨筆、子供時代の食ひ物の話も多いのだが、幸徳事件の話やら暁星小学校の癖の強そうな同級生の話などもあってなかなか面白いと思う。

ところで、実は「秋刀魚の話」のことを書いているうちに、甚だこっ恥ずかしい誤りをしでかしているのに気がついた。なんと表題の表記を「秋刀魚の味」と誤記していたのだ。その他にも底本が島田晋作が民主黨の代議士と誤記していることにも気がついた。ほんとは社會黨が正しい。「秋刀魚の話」は内田巌「絵画青春記」(NDLのデジタルコレクションで読むことができる)に収録されてて、こちらでは社會黨となっているので、これに合わせて修正し、訂正版を登録した。気が向いたら読んでみてくだされ。

檜六郎に言及がある論文

檜六郎は、現在では殆ど忘れられた評論家であり、あまり言及されることもないのであるが、二つ目に止まったので揚げておく。

占領開拓期文化研究会という研究会があって、これは”1920~60年代の〈占領と開拓〉に関する問題系に焦点を当て、現在に繋がる往時の記憶/経験/感情を文学テキスト・映像フィルムから掘り起こすことを目的として活動している研究会”なのだが、その機関誌「フェンスレス」がオンラインで公開されている。その第二号(2014年6月20日)所収の鳥木圭太:プロレタリア文学の中の植民地主義――伊藤永之介「万宝山」を読むの中に、ハリコフ会議の農民文学決議を受けて、ナルプと対立関係にあった労農芸術家連盟(労芸)側の論考として檜六郎「農民作家の「用意」についての走り書」が取り上げられている。

もう一つは「秋田大学教育文化学部研究紀要 人文科学・社会科学」第72集(2017年3月1日)所収の山崎義光:1930 年前後における経済小説の萌芽 ― プロレタリア文学派と新興芸術派との接近 ―に伊藤永之介の小説集「恐慌」に対する檜六郎のブックレビューが取り上げられている。

何故かどちらも伊藤永之介の小説に関連しているのは、何かの緣か